映画とか感想

無知Z世代が映画観て感じたことをまとめるだけ

バービー ネタバレあり感想

とりあえずネタバレ無しの感想。

何が刺さったのかわからないのにとにかくずっとボロボロ涙が溢れてきた。

barbenheimerの件で観るのを躊躇ってる人は少なく無いだろうけど、バービー映画にはオッペンハイマーも原爆も第二次世界大戦も全く関係ないです。あれは公開日が同じというだけで海外の観客が勝手に作った最悪なミームなので、そんな無関係な悪評にこの映画が潰されて欲しくない。

 

映画の予告はピンクでキラキラで可愛らしくて、女の子向けの雰囲気を感じるけど、この映画は性別も世代も思想も関係無く全ての人に向けた映画。

むしろ男性の方が気付かされる事が多いかも。女性は気付きよりも共感が多そう。

 

宣伝では特に触れていないですが、(察しの良い人ならマーゴット・ロビーが制作に関わってるという時点で予想できるしれないけど)かなりド直球でポップかつ生々しく、女性視点からも男性視点からもフェミニズムを扱ってる映画です。

フェミニズムと聞くと嫌厭する人もいる、でもフェミニズムは女性のためだけじゃなく人間が平等であるためのものである。それを改めて感じられるような映画。

 

フェミニズムに関心が無い人には是非とも観て欲しいです。

かと言って既にフェミニズム的な考え方を持っている人は観なくて良いわけじゃない。フェミニズム的な考え方のせいで傷付いた経験があるなら、自分の考えに寄り添ってもらえたような、1人じゃないという安心感を得られる。

 

女性嫌悪的な考え方の男性達はこの映画を軒並み酷評してるのを見かけるけど、少し視点を変えてみればきっとそんな男性達も意見が変わるかも。

 

日本人の多くは本当に無意識で自覚なく男性も女性もミソジニーを刷り込まれている感覚があるので、この映画を見て自分でも気が付かずに持っていたミソジニー的思想に気付かされる人もきっと多いはず。

 

勿論、バービー人形がテーマの映画だし説教臭いトーンではなく全体的にはコメディ調だし映像は可愛い。沢山の素敵な衣装、場面ごとにコロコロ変わるヘアメイクや、徹底的におもちゃのように作り込まれたセットや小物を見てるだけでも楽しい。

メイキングを見て驚いたけど、バービーランドだけじゃなく僅かな時間しか映らない移動シーンもCGじゃなくセットを組んで作ってるのすごい。

 

 

 

⚠️ここから本編の内容に触れてます⚠️

オープニングで幼い女の子達が今まで遊んでいた赤ちゃん人形を叩きつけて壊すのはちょっと引いてしまった…あれは2001年宇宙の旅のパロディで、バービーの登場は当時の女の子達にとってそれほどの衝撃だったのはわかるけど…

あれも母親という役割しか与えられなかった女の子達が家父長制から脱却する表現でもあるんだろう。過激にやらないと家父長制から脱却する事はできない。幼少期に赤ちゃん人形を大切にしてきた身としては辛いものがあったが、これはトイストーリーじゃない、バービーが主役の映画。そこは目を瞑ろう。

 

 

印象的だったのはバービーが人間界に来た時に男性達から卑猥な言葉や性的な視線を向けられたり触られたりする描写があるけど、そこはかなりオーバーな表現…確かに女性は誰しもあんな不快な経験があって共感出来るだろうけどやり過ぎ感はあった。

でもここまでやり過ぎなぐらいに表現しないと女性達が日常的に受けているセクハラや痴漢や性的な視線の不快感に気付かないんだろうな…とすぐに思った。『痴漢被害に遭う=モテてる』だと酷い勘違いしてる男性もいるし。劇中でもバービーは「視線が暴力的」と言ってたけどケンは「注目浴びてる!」てな感じ…男女の感じ方の違いや見られ方の違いをハッキリ表している。

 

そういえば吹替だと「私の股間つるぺただから」と言っていたけどその翻訳で良かったのだろうか…原語版でなんと言ってるのかわからないけど普通に「生殖器は無い」で良かったのでは…?ケンの「僕は性器全部盛り」には笑った。全部盛りてなんやねん、ふたなり

というか、前半シーンのケンとケンの喧嘩中に「手コキ野郎」なんて言葉が出てきてたのがかなり気になる。生殖器が無いのに手コキの概念はあるんですか…?

 

自分で遊んでいた子どもだったサーシャは現代的なフェミニストティーンエイジャーとなり、真正面からズタボロに否定されて何も言い返せないバービー…このシーンは映画冒頭でバービーは女性の社会進出を後押ししたんだぜ!という説明が無かったらサーシャの方にそうだよなと強く共感していたと思う。日本生まれ日本育ちの自分でもバービーは女性の理想的な体型の基準を病的な細さにしたというようなステレオタイプの先入観はあった。

冒頭でバービーの歴史の説明があったから、そうじゃないんだよ〜!となってバービーと同じように泣いてしまった。

 

人間界で初めて見た男社会に毒されて、女社会だったバービーランドにその価値観を持ち込んでしまったケン。

そのせいで自立した女性だったバービーランドのバービー達も男社会に染まりきった頭空っぽな女性になってしまった洗脳を解くシーン。

この描写はかなり重要だったと思う。実際現実にも、特に日本で生きてると自覚が無いまま男社会の考え方に染まっていて女性差別している女性は少なくない。フェミニズム的な考え方を持つ人を“思想強い“と小馬鹿にしながらニコニコ笑って男性をマッサージしてるような女性。

フェミニズム映画と銘打っていないからこそ、そんな女性達も劇中のバービー達のようにハッと気が付くんじゃないかと希望を抱いた。

 

 

男性視点だと、ケンに焦点を当てて観ると良いだろう。

バービーに見つめられる事でしか自分の存在意義を感じられず、男社会の“男らしさ“に取り憑かれて、泣き顔を見せず、ボーイズナイトだと声高に叫んでいるがその部屋にはメイド姿のバービー達がいる。

男社会、というかトキシックマスキュリニティをかなり馬鹿げた描き方で表してるけどケンが自分自身について悩んでるところは馬鹿にしていない。そこに気が付ければ男性もこの映画に優しい歩み寄りを感じられるだろう。

 

終盤でケン達は自分が何なのかを見つめ直す。ケンはケン、それで十分。古い男らしさに固執する必要は無い。女性を従わせて女性にケアを求める必要はない。

SNSを見てると女性にモテる事がステータスの全てで、モテないと男性として認められない負け組だと感じてしまう男性は少なくないように思える。

だけどそんな事はない、女性を従わせていなくてもあなた自身を認めて良いんだというメッセージを感じられるはず。女性を虐げて力を誇示する必要は無い。

 

女性に向けての“あなたはあなたのままで良い!“的なメッセージのある映画は多いけど、そのメッセージを男性にも向けてる映画は珍しい気がする。

勿論それは我々が生きてる現実世界は女性主体のバービーランドとは真逆で家父長制が根強い男社会だからだけど…でも、男性にも寄り添うことでこの映画は男女の分断を煽りたいわけでは無く、本来の意味合いでのフェミニズムを掲げているんだと感じられる。

 

無意識に持っていたミソジニー思想に気付かされる人もいれば、逆にミサンドリー思想に気付く人もいるだろう。

人間界とバービーランドが正反対に描かれているからこそ、どちらにも気付ける人がいる。

 

バービー(女性)とケン(男性)の話をしたから今度は違う立場の話をしよう。アランだ。スキッパーやミッジはネタ枠な感じなので割愛。

個人的な解釈ではあるが、アランはノンバイナリー風のキャラに感じた。バービー(女性)にもケン(男性)にも属さないたった1人のアラン。どちらにも馴染めず、男性キャラではあるが男性コミュニティにはいない。かと言って女性コミュニティにいるわけでもない。(男社会が嫌でバービー達に協力はするけど)

昨今の作品でシスヘテロの描写しかないのは逆に珍しいけどメタファーとして要素は散りばめられてるのかもしれない。まぁ言ってしまえばバービーやケン達も生殖器がないからバービーランドの住民はみんな物理的にノンバイナリーなわけだけど。

 

 

バービーランドが女性主体の社会に戻ると決まってから「ケン達も重要な仕事に就きたい!」と主張するけどそれは無理、まずは下っ端から始めて。」というシーンでナレーションが「これをきっかけにケン達も現実の女性達の様に徐々に社会進出できるだろう」というようなニュアンスの事を言ってるので、この一言で今の世の中は男女平等が成り立っていると信じてる人も現実の女性達が受けている扱いがわかるんじゃないかと思う。

 

人間界を見てきて男社会を経験して、最後には「もうバービーでいられる気がしない」と言い人間として生きることを選ぶバービー。

バービーは完璧な理想。だが人間界を経験してもう完璧な理想ではいられない。バービーですら完璧じゃないならこの世の中で人間が完璧でいることなんて出来ないのだ。

でもそれで良い。完璧じゃなくても良いんだ、女性はみんながバービーだけど、女性みんながバービーになろうとする必要は無い。何にでもなれるけど何者かになろうとしなくて良い。

 

痛烈な現実を突きつけられるけど優しく温かく寄り添ってくれる様な作品。

バーズオブプレイやプロミシングヤングウーマンはフェミニズムというよりもミサンドリー気味というか、徹底して男は悪として描かれてたように感じたけどバービーはそうじゃない。男女の両方に目を向けている。

性被害や性差別に遭うと男を徹底的に悪として描きたくなる気持ちもわかる、そっちは気分をスカッとさせたい時に見よう。バービーは誰かに寄り添って欲しくて、互いに気持ちを吐き出し合って泣きたいような気分の時に見たい。

 

 

鑑賞中に何度も泣いてしまった理由が書きながらわかった気がする、SNS上では自分と同じ意見の人が沢山いるけど現実では“思想強いヤバい人“と揶揄される事が怖くて自分のフェミニズム的な考え方を誰かに話した事もなければ共感された事もない。

だから自分の中にあるのと同じ考え方を映画館の大スクリーンで見せてくれる事に安心したんだと思う。今このシアター内にいる人達がみんな自分と同じ主張をしているこの映画を見て聞いてるんだ、自分は1人じゃないんだという安心からくる涙だったのだろう。

 

 

ラストシーンの婦人科へ行く描写が自分にはピンと来なかったが、あれは人間として生きる道を選んだバービーが女性器を成形して作ってもらうという事なのだろうか…それとも人間として生きると決めた時点で身体的にも人間に変化していて、それを婦人科で検診してもらうという事なのか…?

妊娠したと捉えてる人もいたけど婦人科は別に妊娠した時にだけ行く場所じゃないし…何はどうあれ人間としての身体に向き合うという表現だとは思う。正解は今のところ無いからここの解釈は人それぞれかな。